映画 「鉄道員(ぽっぽや)」 の感想です。

 

 最初に観たとき、似たような人形が、場面を違えて出てくるな・・・
そして、あの娘たちは、なんなんだろうな・・・
 
その結末は、びっくり! 陸上競技のバトンのように人形が
渡されていたんですね。
 
 あれは、奇蹟だよなぁ〜 まさしく! 現代の お伽話ですよね
なんて思っていました。 けど、いろいろ考えてみて思うには
雪子は、乙松のイメージ、みたいと思っていた幻影だったのかも
しれません・・・・
 
 もちろんそこには、
亡き静枝の、夫を思う優しさ、そして亡き雪子の、父を慕う気持ちが
根底にあると思っていますが。
 
 夕餉を用意した雪子が、乙松にむかって
「ビールだったね」
と言いながら、冷蔵庫にたつシーン・・・
 
あの時の姿は、静枝にちがいない、とみるたびに
思います。

この映画についてまだ、書きたいことはあるのでこのページ、更新予定です(Sep. 23 '99)


その1。。。。。。

 何の気なしに足を運んだ映画館で見て感激して、それから何度か見に行ったけど、
繰り返し見ても冗長な部分を感じない、とてもていねいに作られた映画と思いました。
 
 すべては乙松が雪のホームに立つ姿と、乙松と雪子とのやりとりにこめられている、
と思うけど、それを支えているまわりの皆の、お互いを思うやさしさがあちこちに
散りばめられている宝石箱のような映画ですね。
 
 乙松が勝手に解釈して喋る言葉のやりとりに、いたずらっぽくほほえむ雪子が見せる
やさしい表情がとてもいいです。
 
 雪子は父親が生きている間に、親孝行をしたくて、ありがとうを言いたくて
雪の幌舞駅に現れたんですよね。
 そして、ごめんなを言いたかった乙松の願いが、そしてもしかして静枝の気持ちが、
この奇蹟をよんだんだと思います。
 心に残る映画をありがとうございました。

その2。。。。。。

 こんないい映画があるんですね。感激して繰り返し見ました。
 これはおとぎ話ですよね。
 雪子がどうやって雪の駅に現れたのだろう、なんてことは考えずに奇蹟とよびたい。
 
 最初、雪子は乙松を迎えに来たのだろうかなんて考えました。
 勝手に喋る乙松の言葉に受け答えする雪子の優しい表情を見てると、
そうではないんですよね。
 奇蹟とはこうやって起きるんだなぁと思うと、おもわずまぶたが熱くなりました。
 
 乙松のように毎日毎日同じ事を繰り返し繰り返し、異常なく繰り返していく事でも
とても大切な事であることを、映画は教えてくれました。
 
 不器用で頑固といいつつも結果的には好きな道を歩んだ乙松が羨ましいけど、
彼が失ったものも大きいと思う。
 プラットホームに立つ乙松の目に映っていた景色はどんな景色だったのだろう。
それを見てどんなことを考えて、彼は毎日立っていたのだろう。
これから私は考えていきたい。

 

以上、 「自由な言葉であなたの想いを伝えてください」 という東映の
シネマエッセイコンクールに応募した、2つの感想文です。

もっといろいろ書きたかったのですが、400字以内というのと、なんだか
よそいきの文章になってしまいましたかな(^^;)

(Aug. 22 '99)

 

 

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